トピックス

コラム「成果主義賃金導入の際の法的注意点」

従来、わが国の多くの企業では賃金制度として職能資格制度にリンクした職能給制度が主流をなし広く導入されてきました。建前上、これは能力主義賃金システムと位置づけられますが、実際には職能資格制度は年功的に運用されたので、賃金も勤続年数が増加するにつれて上昇していく年功賃金システムの様相を呈していました。かかる年功的処遇は、日本的雇用慣行の特徴をなし、終身雇用制、企業別組合と並んで三種の神器と呼ばれていました。

しかし、1990年代にバブル経済が弾け崩壊するとともに国際的な経済競争も激化し、多くの企業が厳しい経済状況に立ち向かうためにはホワイトカラーも生産性を上げるべきであるとして、当初は管理職を中心に、21世に入るころには一般従業員にも年俸制に代表される成果主義賃金体系を従来の年功的に運用される職能給制度に代えて導入し始めて来ています。そして、更に現在もその傾向は強まってきています。いわゆる「年功から成果へ」の動きです(そして、併せて裁量労働制(労働基準法38条の3・38条の4)とも絡んで「時間から成果へ」の動きとも結びついています。)。

 

賃金は、就業規則の絶対的必要記載事項であるため(労働基準法89条2号)、かかる動きは就業規則の変更という形を通じて行われます。年俸制は成果に応じて賃金額がアップダウンする仕組みであり、アップする労働者にとってはよいがダウンする(おそれのある)労働者にとっては、法的には就業規則の不利益変更と位置づけられます(この点については、新歩合給の導入に関する第一小型ハイヤー事件・最二小判平4・7・13労判630号6頁を参照)。したがって、後者にとっては新たな就業規則に拘束されるためにはそれが周知されるとともに確立された判例法理であり、現在では労働契約法10条で確認されている不利益変更の合理性の要件を満たさなければなりません。

 

労働契約法10条が挙げる就業規則不利益変更の合理性の判断要素は、①労働者の受ける不利益の程度、②労働条件の変更の必要性、③変更後の就業規則の内容の相当性、④労働組合等との交渉の状況、⑤その他の就業規則の変更に係る事情の5つであるが、これは判例法理をコンパクトにまとめたもので、実際には確立された判例法理(第四銀行事件・最二小判平9・2・28民集51巻2号702頁)が示す①変更の必要性、②労働者の被る不利益の程度、③就業基礎の内容の相当性、④代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、⑤労働組合等との交渉の経緯、⑥他の労働組合または他の従業員の対応、⑦同種事項に関するわが国社会における一般的状況等の7要素を総合考慮することになります(ちなみに、メインの判断枠組みないし基本的判断枠組みは①と②の比較衡量です。)。そして、賃金は重要な労働条件であるため、②の必要性は単なる必要性ではなく高度の必要性が求められます。

ただ、上記の不利益変更法理はもっぱら経営悪化や不振等の事例を念頭に置いて形成されてきたものであるため、必ずしも事情の異なる年俸制の導入には適したものとはなっていません(特に、必要性と不利益の比較衡量は困難といえます。)。そこで、裁判所は、年俸制導入をめぐる不利益変更については、上述の判断枠組み(7つの判断要素の総合考慮)をそのままストレートに適用するのではなく、(労働組合等との交渉はいうまでもないでしょうが)新たな賃金制度導入が国際的な厳しい経済状況に立ち向かうためであるこということであれば高度の必要性を認め、賃金制度が合理的なものであり、賃金原資が維持されていて、(成果が上らなくてもおよそ3年程度はかつての賃金額を保障するといった)不利益緩和の経過措置が設けられているならば不利益変更の合理性を肯定する傾向にあります(ハクスイテック事件・大阪高判平13・8・30労判816号23頁、ノイズ研究所事件・東京高判平18・6・22労判920号5頁)。

 

問題は、賃金制度の合理性とはどのようなものかです。これは、年俸制をめぐり目標管理制度などとも絡んで、信義則(労働契約法3条4項、民法1条2項)に基づいて使用者が負うことになると学説によって説かれた公正評価義務の内容が参考になります。即ち、①客観的で明確な評価基準の策定・明示、②それに基づく公正妥当な評価、③評価結果の開示・説明・情報提供、④紛争処理制度の整備が公正評価義務の内容ですが、このように公正に評価された成果に基づいて適正に(客観的かつ透明に)賃金がアップダウンする仕組みが整えられているかどうかが焦点となります。

その場合、成果に基づく賃金の上昇幅が大きいことは問題ないと思われますが、下降幅には限度が必要であり、最低年俸額の保障も求められることになるでしょう。最後の点については、労働基準法等に直接の根拠はありませんが、タクシー運転手などにつき「出来高払制その他の請負制で使用する労働者については、使用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならない。」として、出来高払制の保障給を規定する労働基準法27条の類推適用ないしその趣旨・精神から要請されると考えられます。ただ、この規定はいくら保障すべきか具体的な数値を示しておらず、厚生労働省は平均賃金の6割を払うべきとの行政指導を行っています。学説は、年俸制の場合には単なる出来高給とは事情が異なるとして、下降幅は15~25%が限度ではないかと主張しています。

最後に、蛇足ながら一言補足しておけば、年俸制とはあくまで賃金総額が年単位で決定される仕組みであって、賃金である以上は労働基準法24条2項が規定する賃金毎月一回以上定期払の原則が妥当するため12等分して毎月支払わなければならないことになる点に留意する必要があります。労働基準法には年俸制をはじめとする成果主義賃金を直接規制する規定(賃金額決定方法・手続、最低年俸額の保障、公正評価システムなど)がなく、今後、時代に合わせた法整備が必要になってくるように思われます。

 

客員弁護士 三井正信

2022年8月31日執筆