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コラム「裁判例における労働者の同意の認定をめぐる厳格化の方向」

個別的労働関係は契約関係であって、その基礎は労働契約です。労働契約も契約である以上、その個別的変更は労使の合意によることは言うまでもありません。つまり、労働者の同意が必要となるのです。確かに、労働条件の集合的画一的処理の必要から、就業規則の不利益変更については合理性と周知を要件に労働者の同意なしに拘束力が認められますが(労働契約法10条、かつては判例法理)、個別的合意によって設定された労働条件や変更は個別合意によるとされた労働条件には不利益変更にあたり原則通り労働者との合意(労働者の同意)が求められます(労働契約法8条)。

 

かつて、合意が必要な労働条件の不利益変更につき、たとえ納得できなかったり不満があったりしても、使用者の提案に対し、以後、労働者が黙ってそれを受け続けていると黙示の合意が認定されたり、単に「はい」とか「ええ」とか曖昧な返事をすれば承諾した(同意した)と認定されてきました。しかし、労使の力関係などを考えると労働者が異議を申し立てたり明確に異議を申し出たりすることも困難といえます。これを受けて、学説は、これはまさに合意の虚偽性とでもいうべき事態であり、私的自治が形骸化していると批判しました。

 

そういう状況の中で、2007年に労働契約法が制定され、その3条1項は「労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。」と規定するに至りました。そこで、これを受け、労使対等の立場での自由意思に基づく実質的合意をいかに実現・確保するかが大きな課題となりました。まさに、これに呼応すべく、労働契約法制定の前後から裁判例において労働者の同意の認定の厳格化の方向が示されるようになりました。

その嚆矢が、東武スポーツ(宮の森カントリークラブ)事件・東京高判平20.3.25労判959号61頁です。この事件では、無期契約から有期契約への変更、賃金の不利益変更、退職金制度の廃止、生理休暇・特別休暇の無給化など多岐にわたる内容の労働契約の不利益変更が問題となりましが、東京高裁は「数分の社長説明及び個別面談での口頭説明によって、その全体及び詳細を理解し、記憶に止めることは到底不可能といわなければならない。」と認定し、「労働条件の変更の合意を認定するには、労働者である被控訴人らが締結する契約内容を適切に把握するための前提となる控訴人の変更契約の申込みの内容の特定が不十分であるというほかはない。」と結論づけました。

その後、賃金の不利益変更をめぐって、一連の裁判例が労働者の同意の認定を厳格に行う方向性を示し、書面(同意書)が存しない場合には同意の存在を認定しないとの判断を示すに至りました(協愛事件・大阪高判平22.3.18労判1015号83頁、技術翻訳事件・東京地判平23.5.17労判1033号42頁、コアズ事件・東京地判平24.7.17労判1033号42頁、ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件・札幌高判平24.10.19労判1064号37頁など)。

 

このような流れを受けて企業においては労働条件の不利益変更にあたりあらかじめ労働者の同意書を取っておくという実務的対応ないし慣行が広く見られるようになりました。しかし、労働者が同意書に署名や押印したからといって、必ずしも不利益変更に納得しているとはいえず、労使の力関係からして労働者はいやであっても同意書を拒否するのはなかなか困難となっているともいえます。上述のザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件・札幌高判がまさにそのような事例でした。

 

以上を踏まえ、最高裁が、経営破綻の危機に見舞われ他の信用組合と合併(吸収合併)することになった信用組合が合併先の信用組合の退職金に合わせる必要があるとして退職金の不利益変更につき従業員に同意書の提出を求めた事例である山梨県民信用組合事件・最二小判平成28.2.19労判1136号6頁において決定打ともいえる注目すべき画期的判断を示し、同意書の提出があった場合でも同意の存在を認めない場合があり得ることを示しました。

少し長くなりますが、同判決の核心部分を以下に引用してみましょう。「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条、9条本文参照)。もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為(筆者注:同意書の提出のこと、以下同じ)をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」。

この事例は、説明会が開催されて変更の必要性が説かれ、労働者の同意書が提出されたものの、従業員が実際に退職するに当たり退職金がゼロとなったため、退職金の支給を求めて訴え出たものです。原審は同意書の存在から労働者の同意の存在を認めていました(東京高判平25.8.29労判1136号15頁)が、最高裁は、労使の情報と交渉力の格差を踏まえ考慮して理論展開し、これを覆したのです。ポイントは使用者の説明・情報提供不足であり、新たな計算式の説明ばかりではなくそれを実際に適用して具体的に退職金額がいくらになるのかまで十分かつ具体的に説明した上で同意書を取らないと自由意思によるのではないとして同意の存在を認めないというものです。差戻審は最高裁の示した方向に即して判断を行い、労働者の同意の存在を認めませんでした(東京高判平28.11.24労判1153号5頁)。

 

かかる最高裁の判示は「労働者の自由な意思の理論」と呼ばれ注目を浴び、以後の下級審に大きな影響を与えました。その結果、この理論は様々な労働条件に関し応用的に用いられ(賃金、無期から有期へなど契約期間の有無、職種や雇用形態や勤務形態の変更、退職など)、現在では、労働者保護の観点から労働条件の変更が特に労働者に不利な場合の同意の認定が厳格になされる傾向にあります。これはもはやトレンドになったといってもよいものです。

したがって、企業実務上、労働条件を不利益に変更する場合には、慎重な対応が求められ、単に労働者から同意書を取っておくだけではなく、それに先だって労働者の自由意思が確保される程度に十分かつ具体的に(そして、わかりやすく)説明や情報提供をしておくことが必要となりますが、紛争防止(トラブル回避)の観点からは、かかる説明・情報提供に当たってはそれをわかりやすくポイントを衝いて説明する文書をあらかじめ作成・準備しておき、この文書を提示して丁寧な説明・情報提供を行うべきであると考えられます(この点については労働契約法4条も参照)。

 

2024年3月10日執筆

客員弁護士 三井正信