コラム「デジタル給与払の解禁」
労働基準法24条は、賃金が確実に労働者の手元に渡るように、賃金の支払につき、通貨払の原則、直接払の原則、全額払の原則、毎月1回以上定期払の原則の4原則を定めています。しかし、この原則を貫くと硬直的になり、かえって不便が生じかねません。特に、このままでは銀行口座振込は通貨払の原則に反することになります。もともと通貨払の原則は使用者による現物給与を禁止する趣旨から設けられたものです。
通貨払の原則をめぐっては、当初より「法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合」に許容されるという例外が労働基準法に定められていました。多くの企業では、労働組合と労働協約を結んで通勤手当を定期券で現物支給する例が多くみられます。しかし、これはいまだ部分的であって、このままでは基本給等の賃金の銀行口座振込は難しいといえます(特に、労働組合がない場合や労働組合があっても従業員が全員組合に入っていない場合など)。銀行口座振込は、便利で安心確実で現物給与とも異なります。そこで、1978年(昭和53年)の労基法改正で「厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合」(当時は労働省令)という例外条項が設けられ、これを受けて労働基準法施行規則7条の2が労働者の同意を要件として賃金の①銀行口座振込と②証券総合口座への払込を認めることとなりました。
さて、現在、スマホなどを使っての買物等の決済をめぐるキャッシュレス化の波が急激に広がっています。しかし、キャッシュレス決済を行う資金移動業者(要は、○○Payなどと呼ばれている業者です)の労働者の口座(アカウント)に賃金を振り込めば、このままでは労働基準法24条の賃金通貨払の原則に反してしまうことになります。
そこで、キャッシュレス化の波と労働者のニーズに押されて、2020年(令和2年)2月27日に閣議決定された「成長戦略フォローアップ」および同年7月14日に外国人材の受入・共生に関する関係閣僚会議で決定された「外国人材の受入・共生のための総合的対応策(令和2年度改訂)」が給与のデジタル払い制度の早期(年度内)実現化の方向を示唆しました。これを受け、同年8月27日に厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で賃金のデジタル払いを認めるか否かについて議論が開始されました。その後、同分科会において2021年(令和3年)1月28日、2月15日、3月16日、4月19日、2022年(令和4年)3月25日、4月27日、5月27日、9月13日と合計8回にわたり検討・議論が行われて、賃金のデジタル払いを認めるべく、労働基準法施行規則7条の2を改正する方向での制度設計案が示されました。
そして、その後、パブリックコメントを経て、同分科会で示された制度設計案に基づいて「労働基準法施行規則の一部を改正する省令案要綱」が作成され、2022年(令和4年)10月26日に厚生労働大臣より労働政策審議会に諮問がなされました。同日、同審議会は労働政策審議会労働条件分科会の「おおむね妥当と考える」との報告を踏まえて同旨の答申を行いましたが、かかる答申により賃金のデジタル払いにお墨付きが与えられゴーサインが出されることになりました。これを受け、同年11月28日に厚生労働省において案要綱を規定化した労基準則を改正する省令が公布され、それが施行される2023年(令和5年)4月1日以降、賃金のデジタル払いが可能となりました(ただ、後に述べる資金移動業者の指定申請もこの日からなされるので、実際にデジタル払いができるようになるのはもう少し先になると思われます)。
具体的には、労働基準法施行規則7条の2に通貨払の原則の例外として、デジタル払いが追加される形をとっています。デジタル払いを認めるに当たっては、①労働者の同意が必要であり、②デジタル払いの振込先である資金移動業者(先に触れたように、○○Payといった決済業者ですが、資金移動業を行うためにはそもそも資金決済法に基づいて内閣総理大臣の登録を受けることが必要です)は、厚生労働大臣の指定を受けた第二種資金移動業者に限定されるとともに、厚生労働大臣による監督が予定され、③実施にともなう危険や弊害を除去し資金(賃金)の安全性を確保する措置をとることが厚生労働大臣による指定の要件となっています。なお、通達は、デジタル払いの実施に当たっては事業場の過半数代表との労使協定の締結を求めています。
ちなみに、デジタル払いはあくまで賃金支払方法の選択肢がひとつ増えたということを意味するのであって、使用者はこれを強制できず、デジタル払いにするかどうかはあくまで労働者の選択に委ねられます(依然として労働者は通貨でも銀行口座振込でも証券総合口座払込でも選択でき、デジタル払いを選択する場合でもそれを賃金の一部にとどめることも可能です)。
なお、デジタル払いの仕組みは次のようになります。まず、使用者が資金移動業者に口座(アカウント)を開設して、支払対象とされた労働者に対する送金指示をし、使用者の銀行口座から資金移動業者の銀行口座に賃金相当額の資金を送金します。これによって使用者のアカウントの額が送金した分だけ増加します。次に、送金指示を受けた資金移動業者は、送金額を使用者のアカウントから減じて、労働者が資金移動業者に開設したアカウントの残高に同額を増額することにより賃金相当額の資金の移転を行います。そして、労働者は加盟店契約等を締結した資金移動業者の決済システムに参加する販売事業者から商品を購入したりサービス提供を受けたりしたことの対価(代金)を、資金移動業者のシステムを通じて決済します。
ちなみに、具体的な資金についてみれば、使用者の銀行口座から資金移動業者の銀行口座に送金された賃金相当額の資金は、資金移動業者の銀行口座に保持されたままであって、あくまで労働者は資金移動業者に対してアカウントの残高相当額の為替取引に関する債権を有するにとどまるのであり、かかる決済は、労働者のアカウントから代金相当額が減額され資金移動業者の銀行預金口座から、加盟店の銀行預金口座に代金相当額の資金が送金される形となります。
客員弁護士 三井正信
2023年2月28日執筆